沿革・工芸士プロフィール
桐生の織物とともに
歩んできた髙光織物
沿革
大正2年 | 髙橋重次郎(現代表の康郎の曾祖父)が機織を始め、家業とする。屋号は髙重織物。当時は帯がメインの商品であった。 |
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昭和初期 | 髙橋政四郎(祖父)が後を継ぐ。 それに伴い屋号を髙政織物に変更。 戦時中は生糸制限などの試練があったが、家業と伝統を守り抜く。 |
昭和29年 | 髙橋光一(父)が代表取締役となり会社組織に改組。 有限会社髙光織物工場とする。 従来の製品に加え、化学繊維なども使用、日本舞踊用の帯なども手掛け、工場を拡張する。 |
平成12年 | 髙橋康郎が代表取締役に就任 |
平成14年10月10日 | 群馬県「一社一技術」に裂織(さきおり)が認定される |
平成15年 2月25日 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品 桐生織の「伝統工芸士」に認定される |
髙橋康郎プロフィール
昭和36年(1961年) 桐生市に生まれる。
機の音を聞きながら育つ。機音が止まると泣き出したというエピソードがある。
小学校より野球をはじめ、高校時代、甲子園出場の経験あり。
大学卒業後、東京で修行を始め、平成元年に髙光織物に入社。伝統工芸士。